富士通のノートPC「出雲モデル」の生産地、出雲には、10月になると神々が集まると言われています。それはなぜか、どんな神々が集まって何をしているのでしょうか。
文/渋谷申博
出雲で行われるとされる全国の神々を迎える神秘的な「神迎祭」
明治6年(1873)まで使われていた旧暦では、1月は睦月(むつき)、2月は如月(きさらぎ)という具合に、それぞれの月に名前がついていました。弥生(やよい、4月)・卯月(うづき、5月)と優雅な名前が続きますが、10月になると神無月(かんなづき)という謎めいた名前に。しかも、出雲地方では神在月(かみありづき)と呼ぶというから、さらに謎は深まります。
ご存じの方も多いと思いますが、10月は全国の神々が出雲に集まるとされているからなのです。
出雲に神様が出かけてしまって留守になるから「神無月」。出雲だけは神々が集まっているので「神在月」というわけです。
そう言われているだけではなく、出雲では「神在祭(かみありさい)」という祭も行われています。
神在祭はまず、旧暦10月10日の夜、稲佐(いなさ)の浜で全国の神々を出迎える「神迎祭(かみむかえさい)」から始まります(2024年の今年は11月10日に行われる)。
かがり火(御神火:ごじんか)が焚かれた砂浜に神職が並んで、海の向こうから訪れる神々を迎えるという、荘厳で幻想的な神事です。
スタジオジブリの映画『千と千尋の神隠し』の一場面のように、さまざまな姿の神を乗せた船が今にも到着するのではないか、そんな気持ちにさせられます。
われわれの目には見えませんが、実際に神々は到着しているのだと言います。神籬(ひもろぎ)と呼ばれる祭具に宿った神々は、絹垣(きぬがき、白い大きな幕)で隠され、出雲大社へと運ばれます。そして、十九社(じゅうくしゃ)という横に長い社殿へと導かれます。ここが神々の宿泊所となります。
このように出雲の神在祭は、昔ながらの儀礼を行うものではなく、神と人が織りなす現在進行形の儀式なのです。
実は、一部の地域には神々を出雲に送り出す儀礼も残っています。
たとえば、静岡県磐田市付近では新暦の11月1日を神送りの日としていて、旅立つ神様の弁当として新しい藁(わら)で作った苞(つと、納豆などの食品を入れるための包み)に赤飯をつめて神棚に供えます。
10月に神々が出雲に集まるということについては、平安後期の歌学書(和歌の注釈や解釈について書いた本)に触れられていて、平安以前にさかのぼる信仰だということがわかります。
14世紀前半頃に書かれた吉田兼好の『徒然草』には、10月は神無月だから神事を行うべきではない、という説が当時広まっていたことが記されています。ただし、その行き先は出雲ではなく、大神宮つまり伊勢神宮だとも書かれていますが、兼好はいずれの説も根拠のないことだと否定しています。
神無月、神々は出雲に集まって縁結び会議中⁉
神々はなぜ出雲に集まるのでしょうか。
それを明確に説明している書物などはありませんが、国譲り神話で大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)と天津神(あまつかみ、天上の神)が交わした取り決めによると古くから言われています。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)が日本の国土を生み、地上の神々を生んだ後、国土を開発し、人々に農作や医薬のことを教えたのは大国主大神でした。これによって大国主大神は地上の神々の王というべき存在になりました。
この様子を天上から見ていた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、伊邪那岐命・伊邪那美命の子である私の子孫が地上を治めるべきだと考え、統治権を譲るよう大国主大神に申し入れる使者を派遣しました。
この後、大国主大神と使者たちの間でさまざまな駆け引きがなされますが、最終的には統治権を天照大神に譲ることを大国主大神は受け入れます。これが国譲り神話です。
『日本書紀』によると、天照大神とともに天上界を治めていた高皇産霊神(たかみむすひのかみ、『古事記』では高御産巣日神と書く)は、統治権を譲り受ける交換条件として、巨大な神殿(出雲大社)の建造とともに、「神事(かみのこと)」「幽事(かくれたること)」を大国主大神に委ねることを提示したと言います。
「神事」「幽事」の意味については諸説あります。死後の世界を司ることとも、宗教的権威を保つこととも言われますが、「神事」を文字通り受け取って、神々を統率することと受け取られてきました。つまり、全国の神々は統率者たる大国主大神のご機嫌うかがいをするため出雲に行くというのです。
では、出雲に集まった神々は何をしているのでしょうか。
これについても諸説・諸伝承があります。酒造りや料理をするというもの、里帰りだとするものがある一方、大国主大神に奉公するという伝承もあります。また、神々の母というべき伊邪那美命の追悼のためという説もあります。
10月は陰が極まる月なので、もっとも陰の性質が強い出雲に陽の性質をもつ神々が集まってバランスをとるという説もあります。
神々が集まる出雲大社では、神議(かむはか)り、つまり会議をしているとしていて、これがもっとも普及している説です。問題は何を話し合っているか――。
通説では縁結びだとされます。出雲に集まる神々の多くは各地の氏神なので、それぞれの地域の氏子の情報をもっています。そこで、「うちの○○と、おたくの△△は相性がいいのではないかな?」などと話し合っているといわれています。江戸時代の浮世絵にもこの題材を扱ったものがあります。
出雲大社が縁結びのご神徳(ご利益)で有名なのは、この伝承に由来しています(大国主大神が女神様からモテモテで多くの子をなしたから、という説も)。
神々の滞在はまだまだ続く、最後は追い出される神も
出雲大社では神議りは旧暦の10月11日から17日まで続きます(今年は11月11日から17日)。この間、11日・15日・17日に神在祭の神事が執り行われます。
そして、17日の夕刻、神々を送り出す神等去出祭(からさでさい)が厳かに行われます。この神事の最後に神官の一人が楼門の扉を叩き、「お立ちー、お立ち-」と唱え、これに合わせて、神々は出雲大社から出立するのだとされますが、神々は出雲から旅立つわけではないのです。
出雲大社などの伝承では、神々は万九千(まんくせん)神社に赴いて、ここで直会(なおらい、神事の後の宴会)をして、26日に各地へ旅立つと言われています。
佐太神社に行くという伝承もあります。いくつかの神社をはしごするとも、いくつかのグループに分かれて出雲のあちこちの神社に行くともいわれます。美人だという売豆紀(めづき)神社のご祭神に会いに行く神々もいるようです。
万九千神社も佐太神社も最後は神等去出祭をして神々を送り出します。しかし、よほど出雲は居心地がいいのか、それでも地元に帰らない神がいるとか。佐太神社では30日に止神送(しわがみおくり)神事を行い、そうした神を出雲から送り出します。
さて、神々が出雲に行ってしまっている間、その地元はどうなっているのでしょうか。芭蕉の句に「留守の間に荒れたる神の落葉かな」とあるように、荒廃してしまうのではないかと心配になります。
けれど、すべての神が出雲に行ってしまうわけではありません。留守神といって、神無月も地元に残って地域を守る神がいるのでご安心を。
どの神が残るかは地域によって異なりますが、エビス(恵比寿・恵美須・戎などと書く)や道祖神、荒神などは地元に残るとされています。エビスが留守神となったのは、出雲の餅が美味しかったのでつい盗んでしまい、それ以来行きづらくなったなったからという説があります。余談ですが、かつて出雲では神在月に神在餅を振るまっていました。この「じんざいもち」が訛って「ぜんざい」になったといわれています。
留守神に話を戻すと、竈(かまど)の神などの家の神も持ち場を離れないようです。また、蛇体の神も出雲には行かないそうです。蛇神は大地と強く結びついた神なので、その土地に居続けなければならないのでしょう。
渋谷申博(しぶや・のぶひろ)/1960年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。日本宗教史研究家。主な著作に『参拝したくなる! 日本の神様と神社の教科書』(ナツメ社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』(以上、日本文芸社)、『全国名所図会めぐり』(GB)、『猫の日本史』(出版芸術社)ほかがある。