気になる言葉や出来事について解説するシリーズ。今回は、「蛙の子は蛙」「猿も木から落ちる」など、目上の人に対して使うと失礼にあたることがある言葉に注目してみました。
【蛙の子は蛙】親子が似ていることを言いたくて
最初はこちら。
「蛙の子は蛙」
『広辞苑』によると
何事も子は親に似るものだ
子は親の進んだ道を歩むものだ
という意味。子どもが親に似てきたということを伝えたいシーンで使う言葉ですよね。ただし、注意したいのが、
「凡人の子はやはり凡人である」
という意味を含み、誉め言葉ではないということ。
「親に似て立派に育った」「さすが蛙の子は蛙だ」
という褒めたい場面では使えません。「親に似て凡人に育った」というニュアンスで伝わってしまいます。自分自身を謙遜する際にとどめておきましょう。「鳶が鷹を生む」も同様です。
【猿も木から落ちる】失敗した相手の気分を悪くさせてしまうかも
続いてはこちら。
「猿も木から落ちる」
意味はご存じの通り、
その道に長じた人でも、時には失敗することがあるというたとえ
です。
達人でも失敗することがある、ということをたとえ敬意をもって伝えたつもりでも、相手を「猿」に例えていることで失礼にあたります。「河童の川流れ」も同様の理由で控えたい言葉。上司や目上の人が相手であれば「弘法も筆の誤り」が無難だといえるでしょう。
【老骨に鞭打つ】がんばっている高齢者を称える言葉ではない
最後はこちら。
「老骨に鞭打つ」
「老骨」は、年老いた体
「鞭打つ」は、前に向かって進めるように励ます
という意味。「老骨に鞭打つ」は、年老いて衰えた体を励まし努力するといった意味になります。一見したところポジティブな意味に思えますが、がんばっている高齢者に尊敬の念を込めて伝えたいときにはふさわしくありません。
「ますます老骨に鞭打ってがんばってください」
といった使い方はNG。自分のことを謙遜するときのみ使える言葉なので、注意が必要です。
「馬齢を重ねる」も同様に「無駄に年をとる」「なすこともなく老いる」という意味を持っているので、目上の人には使わない方が無難です。
何気ない会話の中で使いがちで、なじみのある言い回しですが、相手を間違えると失礼になってしまいます。大人のマナーとして覚えておきたいですね!
記事提供/ハルメク365