パリで国際大会の柔道において活躍が期待される選手と言えば、最強の兄妹と言われている兄の阿部一二三選手と妹の阿部詩選手。2021年に開催された東京での国際大会では、史上初めて兄妹が同大会で金メダルを獲得するという偉業を達成し、世界中から注目を浴びました。
その後も調子を落とすことなく世界選手権で連覇していることもあり、阿部一二三選手、阿部詩選手ともに、2023年6月に早期内定者としてパリ国際大会の出場が内定しています。
本稿では、兄の阿部一二三選手に焦点をあて、これまでの功績を振り返るとともに強さの秘密について解説します。
阿部一二三選手の生い立ちとこれまでの功績
まずは子どもの頃から学生まで、阿部選手がどういった成績をおさめてきたのかみていきましょう。
幼稚園から柔道を始めるも泣いてばかり
たまたまテレビで見た柔道のおもしろさに釘付けになり、幼稚園の時に父親に自ら柔道がやりたいと告げ、柔道を始めます。しかし、はじめは怖さもあり泣いてばかりだったそうです。練習がつらく辞めたいと言うこともしばしば。
小学生の時は、同じくらいの体格の女子選手に負けてばかりだったというエピソードもあります。しかし、それが阿部選手のモチベーションとなり、より一層練習に励む方向へと作用していきます。この女子選手が阿部一二三選手の原点と言ってもいいかもしれません。
中学生で類まれな才能を発揮
中学に進学すると、ここから阿部選手の才能がいっきに開花します。中学2年生の時に全日本中学生大会で初優勝すると、3年生では2階級を制覇。頭角を現します。
高校で世界の頂点へ
高校に進学してからも勢いは止まりません。
1年生ながら全国高等学校柔道選手権大会で優勝を飾り、2年生の全国高校総体では全試合1本勝ちで完全優勝を果たしています。さらに同年のグランドスラム東京では、世界選手権3連覇を果たした海老沼匡選手を破り、男子では史上最年少となる17歳118日で優勝。世界の頂点に躍り出ます。
ちなみに阿部選手が在籍していた神港学園では「阿部シフト」というものが存在し、阿部選手が集中して練習できるよう他の部員は練習をやめるなど、部員全員が阿部選手の練習のペースに合わせていたそうです。これは柔道の強豪校ではないからこそできたこと。学校全体でのサポートが阿部選手をさらに成長させていきます。
世界選手権 兄妹同時優勝達成
大学進学後もまだまだ快進撃は続きます。大学2年生の時に世界選手権で優勝。翌2018年の
世界選手権では史上初の兄妹同時優勝を果たします。
大学卒業後はパーク24に所属。2016年のリオデジャネイロ国際大会の出場は逃してしまった阿部選手は、当然、東京国際大会出場に向けて熱が入ります。しかし、新型コロナウイルスの影響で選考大会は次々と延期に。そして、あの歴史に残る丸山城志郎選手との東京国際大会代表を巡る1本勝負に臨むことになります。
参照元:【神戸スタイル】目指せ!オリンピック金メダル-神港学園神港高等学校柔道部・阿部一二三さん
歴史に残る名勝負 日本代表争い 丸山城志郎選手との一戦
阿部一二三選手を語るうえで避けて通れないのが2020年12月13日に行われた丸山城志郎選手との一戦です。東京国際大会代表を決めるために行われた、柔道界史上初、異例の1発勝負。この試合について振り返ります。
同階級に2人の金メダル候補
東京国際大会の各階級の柔道日本代表選手が出揃う中、男子66kg級だけ、2020年12月の時点で代表選手が決まっていませんでした。それは同階級に阿部一二三選手と丸山城志郎選手がいたからです。
両選手のそれまでの実績はほぼ互角、2人の対戦成績もほぼ互角というまさにライバルの関係。1つの代表枠に対し2人の金メダル候補がいたんです。そのため選考は長引きました。新型コロナウイルスの影響で選考試合の中止が相次いだことから、柔道界史上初、直接対決の1発勝負で代表を決めることになります。
対照的な二人
当時23歳の阿部一二三選手は、高校時代から多くの国際大会に出場し、エリート街道を歩んできました。圧倒的なパワーで1本をとりにいく柔道スタイル。対して当時27歳の丸山城志郎選手は遅咲きの苦労人。武器はスタミナ。対照的な2人の真剣勝負は、後世にも語り継がれる死闘となります。
阿部部選手の出血で試合が中断 運命の分かれ目
前半から阿部選手がやや優勢な流れで進む試合。途中、丸山選手に指導が入ります。しかし、丸山選手は焦ることなく、我慢してチャンスを狙いにいきます。両者とも技が決まることなく延長戦に突入します。
延長戦で丸山選手に2枚目の指導が入ります。スタミナが武器の丸山選手はここでも焦ることなくペースを崩しません。それどころか、少しずつ自分のペースを作っていき、これまでとは反対に丸山選手優勢の流れを変えていきます。
しかし、このタイミングで阿部選手が鼻から出血し、一時試合が中断。結果的にこれが運命の分かれ目となりました。
勢いにのっていた丸山選手は流れを断たれる形になり、心の中では「(この中断は)必要ないだろう」と思っていたそう。一方、阿部選手は「もうすぐ決まるかなという感覚があった」と当時を振り返ります。
この言葉通り、試合再開直後に阿部選手の技が決まり、24分間の死闘に決着がつきます。通常の試合時間は4分のため、通常の6倍。野球に置き換えると延長54回です。おそろしく長い時間を戦い、見事勝利を収めたのは阿部一二三選手でした。
参照元:【柔道】「あの時、実は。」阿部一二三 × 丸山城志郎|東京五輪を懸けた史上初のワンマッチ!24分間の真実とは (youtube.com)
強さの秘訣 上半身と下半身の分離
阿部選手が勝利を決めた場面。阿部選手は丸山選手に大外刈りをかけにいきますが、この時丸山選手は小外掛けで反撃をしています。実は過去に、このパターンで阿部選手が丸山選手に負けるということが2度ありました。
しかし、この時の阿部選手は、小外掛けで倒されそうになるのですが、左脚1本で耐えて丸山選手を投げ切り見事勝利しました。この左足1本で耐えられたという点が阿部選手の強さなんです。
大外刈りをかけにいっているので、上半身は丸山選手を前に押す方向、前方向に力をかけています。しかし、耐えた左足は、上半身と反対方向、後ろ方向に力を発揮し、丸山選手に引っ張られながらも倒されないよう身体を支えました。
基本的な身体の使い方として、上半身が前方向に力を発揮すると、下半身も前方向に力を発揮しやすくなります。野球の投げる動作や格闘技のパンチの動作も上半身と下半身両方が前方向へ力を発揮しますよね。
上半身と下半身を分離させてそれぞれ違う動きをするということは実は非常に難しく、しかも阿部選手は咄嗟の判断でそれを行っているので、すごいとしか言いようがありません!愚直にトレーニングを積み重ねてきた結晶でしょう。
この戦いから3年以上が経過しました。阿部選手の更なる進化が期待されます。