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ボクシング 金メダリスト村田諒太選手の生い立ち|WBA ミドル級

ボクシング 金メダリスト村田諒太選手の生い立ち|WBA ミドル級

日本人で初めて、アマチュア最高峰の試合である国際大会で金メダルを獲得し、その後プロでも世界チャンピオンを達成した村田諒太選手。今回はそんな偉業を成し遂げた村田選手の生い立ちについて解説します。

両親の離婚がきっかけで非行の道へ

村田諒太選手は1986年1月12日奈良県奈良市で生まれました。兄弟は兄が二人いて、両親は小学6年生の時に離婚。村田選手は著書の中で当時のことを「家庭が崩壊したという現実が受け入れられなかった」と記しています。そして両親の離婚をきっかけに非行の道へ走ります。

中学一年生で髪を金色に染め上げほとんどの授業を欠席。喧嘩を繰り返す日々だったそうです。村田選手1人対複数人の喧嘩が多かったとか。しかしこれが、ボクシングの道への第一歩だったのかもしれません。

ボクシングとの出会い

そんな喧嘩に明け暮れる村田選手をボクシングと引き合わせたのが当時の担任の先生。村田選手にやりたいことはないのかと尋ねたところ「ボクシング」という回答が返ってきたので、先生は奈良市内のボクシング教室に連れていったことで、村田選手はボクシングと出会います。

しかし、そのハードな練習についていけず教室を辞め、また喧嘩を繰り返す日々に逆戻りしてしまったそうです。

中学3年生で才能が開花

喧嘩を繰り返す中で、喧嘩は強さの証明にはならないと感じた村田選手は再びボクシングジムへと足を運ぶようになります。

そして中学3年生の時、村田選手のその才能が周りの人の目にとまる出来事が起こります。

プロ同士が行うスパーリングで急遽欠員が出たところに村田選手が穴埋めで入ることになります。しかし村田選手はまだ中学生。村田選手に危険が及ぶと判断された場合はすぐに止めようとコーチも思っていたそうですが、結果は全くの反対。開始1分程で村田選手は相手選手に右ストレートをクリーンヒットさせ、リング中央からロープまで吹っ飛ばします。そして相手選手はそのままダウン。

ここから村田選手はボクシング一筋でその才能をいっきに開花させていくんです。

偉業を成し遂げた村田選手の生い立ちはまさにドラマですね。動画ではその後の村田選手についても解説されていますので、興味ある方は動画を最後までご覧ください!

参照元:村田諒太の生い立ちがヤバすぎた【格闘技解説】

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